先日、「女たちのおしゃべり会」(性と生を考える!女たちのおしゃべり会2023)で
「障がいは不幸」という社会通念を変えていけたら
~もっと知ってほしい「染色体少数派」のこと~
という何やら大きなタイトルでお話をしてきました。
速報を出せぬまま日が経ってしまいましたが、
その間にふくらんだ思いも込めて、やっと報告を書きました。長文です。
ちなみに主催者の市場恵子さんは、会の翌日(早い!)にFacebookでこんなふうに報告してくれています。ありがとうございます。
m.facebook.com
すばらしく要点がまとまっていますので、時間のない人は↑こちらで。
では長文↓報告、はじめます。
(最後に「18っこのわ」のお知らせがありますので、時間のある人はこちらで。)
2023年6月24日(土)13:00~16:00(の予定でしたが話が弾みすぎて延びました)、
会場は、岡山市北区出石町で店主の奥津幸(みゆき)さんが営む
フェアトレード専門店「コットン古都夢(ことむ)」。
岡山後楽園にほど近い所にある「コットン古都夢」は、
35年間の長きにわたり人々の交流の場としても開かれてきたそうです。
「コットン古都夢」の店内を会場とした「女たちのおしゃべり会」は
2015年にはじまり、コロナ禍のときもこつこつと毎月続けられ
今回通算97回目を数えます。
「女たちのおしゃべり会」主催者の市場恵子さんのことは、
これまで私から一方的に存じ上げていました。
(「HOME18岡山」副代表にして「ヨノナカ実習室」実習助手のスミカオリさんが、
「岡山にはこんなすてきな人がいる。活動を続けていればいつか会える」と
予言してくれていたのです。)
そんな中、今年3月に私たちが開いた「布と子ども展」の会場の一つ
「喫茶さざなみハウス」に市場さんが来てくださったことで
スミさんの予言通り、ついに出会うことができました。
市場さんはさざなみハウスの展示を見て
その場で販売していた「Team18」の
『18トリソミーの子どもたち写真集~出会えた奇跡をありがとう~』を即購入。
そして「『女たちのおしゃべり会』に木多さんとスミさん二人でゲストとして来てね」と
スカウトしてくれました。
初対面でのお誘いにびっくりしましたがとても嬉しかったです。
その後、大切なお友だちにも「HOME18岡山」と「布と子ども展」を宣伝してくださり、
ご自身も後の会場「きらめきプラザ」にも来場され、
時は流れて今に至ります。
市場さんの旺盛な好奇心と行動力、
気さくで明るくて優しい人柄にぐいっと引き込まれるような出会いでした。
さて本題の「女たちのおしゃべり会」の報告です。
まず私が「18トリソミーの子の妊娠・出産・育児・看取りをした経験と当時の心情、そこから気付いたこと」「『HOME18岡山』を立ち上げた理由」「『HOME18岡山』のこれまでの活動」を説明しました。
話の最後には、「私たちのことをいろんな人に知ってもらうにはどのような方法があるか」「障がいがある人と地域でともに生きていくためにはどうしたらいいか」という二つの問題提起をしました。
次にスミさんがワークショップ「○○ではありませんが」をしてくれました。
重松清さんの『赤ヘル1975』の一節をもとに、
「○○(当事者)ではないけれど、実は気になっていること」「○○(当事者)ではない側の役割」について
参加者が4人一組で話し合いました。
たとえば私は「染色体少数派の子どもの親」ということでは「○○(当事者)」側ですが、
長島愛生園へ行くとハンセン病や強制隔離については「○○(当事者)ではない」側になります。
視力は悪いのでコンタクトレンズや眼鏡は必要ですが、
視覚障がい者という枠組みで考えると「○○(当事者)ではない」側です。
目が見えない人の気持ちが分かるわけではないけれど、
目が見えない人のために点字ブロックを作ることができるのは
「○○(当事者)ではない」側の人ですよね、というスミさんの導入から
話し合いに入りました。
話し合いの後、ワークショップで話し合った内容や今回のおしゃべり会の感想、問題提起に対する意見などをグループ毎に発表しました。
グループ毎の発表中に予定時間が来てしまったため、
後ろに予定がある人から流れ解散となりました。
このグループ討議とその後の発表が「おしゃべり会」の醍醐味だったのだと最後に気づき、「ああ、最初に私、一人で長時間しゃべりすぎてもったいないコトしたなあ」と反省しました。
というのも、最後の発表はグループの代表が一人でしゃべり続けるのではなく、話の途中で誰かが質問してそれに答えたり、他の人が代わってしゃべったりします。
意見を言われて「え?」と思ったら言い返したり、
言われた本人じゃない人が「それは、こういうことじゃないかな?」と横から補足したり、
言った人が「これはちょっと違ったな」と思ったら「ごめん」と謝ったり、
「その考え、いいな」と思ったら、素直に「なるほど」「ありがとう」と言い合ったりするのです。
心地よい対話が生まれるのを目の当たりにして、この時間をたっぷり取れなかったのはもったいなかった……と思ったのです。
ただ、私はほとんど初対面の人ばかりでしたが、ちょっとここには書けないような(家族にも話したことのない)心の内まで赤裸々にお話しすることができたのは、このおしゃべり会に来てくれた人なら、きっと受け入れてくれるだろうという寛容な雰囲気を感じて安心できたからだと思います。
(さっきは「一人でしゃべりすぎて反省」と書きましたが、たしかに時間配分はもったいなかったけれど、私自身が今後活動を続けていくためには自分語りも必要なことだったのかも知れないな、とも思っています。「反省」しつつも「感謝」。長時間聴いてくださってありがとうございます。)
実際に最後の対話の時間には、非常にプライベートな話をしてくれた人もいました。
会には、ご自身に障がいがあり電動車椅子で県外から一人で来てくれた人(優子さんありがとうございます!)や、病気の家族を24時間看病している人、子育てに加えて高齢の家族を複数名介護してきた人も参加されていて、お互いに率直な思いを語り合いました。
参加者全員が、その日会ったばかりの相手とこんなに安心して胸の内を打ち明け合い、聴き合い、励まし合えるような場を育んでこられたことを、心から尊敬します。
私が発表した内容は「『障がいは不幸』という社会通念」「命の選別」「優生思想」など、ともすると重々しくなるものを含んでいたのですが、ワークショップを経て、何というか、終始漫才の掛け合いのような笑いあり、涙あり、怒りあり……そして感情を抑えなくて良い、笑って良い、深刻ぶらなくて良い、卑屈にならなくて良い……という大人の包容力が漂うすばらしい対話の時間となりました。
この会の素敵な雰囲気を文字で伝えるのは難しいので、
気になる人は第98回~100回に実際に参加して感じてほしいです。
「女たちの」と題していますが、女性でなくても参加できるそうです。
「第100回まで開催したら、しばらくお休み」と聞き、寂しく思います。
私もすっかりこの会のファンになったので、予定が合うときは行きます。
さて話を戻して、この会で私が考えたことを大きく五つ記録しておきます。
①「すべての命に祝福を。」
これは4年前から変わらない思いです。
赤ちゃんに重い病気・障がいがあることが分かると、妊娠出産を周囲から喜んでもらえなくなるという経験をしました。
でもどんな命も「授かること」「生まれてくること」だけでも奇跡です。
親はその子の命の選択を迫られますが、周囲の反応は親の選択に影響をあたえます。
私は、親が悩み抜いて決めたどの選択も、正しいのだと思います。
人工妊娠中絶を選んでも、赤ちゃんに人工呼吸器や手術などの医療行為を行わないことを選んでも、その親の選択がすべてで、尊重されるのが良いと思います。
しかし、「○○(当事者)ではない」側の人(障がいのある赤ちゃんを授かった親ではない人)には、自分の一言が親を追いつめているかも知れない、ということを知ってほしいと思います。
「自分」が医療者や親類(おばあちゃんとか)、友人であれば、近所の知り合いや職場の同僚より、一言の影響はより大きくなるかもしれません。
ぜひ、誰かから妊娠や出産の報告を受けたら、
(特に「実は赤ちゃんに病気や障がいがあるんだけど」と打ち明けられた時こそ、その人は意を決して打ち明けていると思いますし、その人自身も赤ちゃんを歓迎できない気持ちかもしれないので)
まずは手放しで「おめでとう」と声をかけてほしいと思います。
『コウノドリ』の鴻鳥サクラ先生のように。
もし流産や死産、子の死を告白された場合は、励ますよりただ寄り添って悲しみの時間を共にしてもらえるとありがたいと思います。
全ての妊娠出産の報告の数だけ、実は口には出せない親の苦悩があるかも知れないということ、
わたしたちが何気なく口にしがちな「元気な赤ちゃんを産んでね」「五体満足でよかったね」「健康が何より」「障がいはかわいそう」「治療・延命は痛そう」「自然に任せるのが一番」「今回は残念だったけどきっとすぐ次があるよ」といった言葉に、傷ついたり心が揺れたりする人もいるということを知ってほしいのです。
②「誰もが自由に生き方を選べるように。」
「障がいが不幸」という社会通念は、残念ながらあると思います。
だから、お腹の中の赤ちゃんが18トリソミー等「染色体少数派」だと思われる検査結果を前にすると、親は「生むか生まないか」「生まれた後の治療をどこまでするか」といった様々な選択肢に頭を悩ませます。
(極端な話かも知れませんが、「障がいがないよりある方がしあわせな社会」や「障がいがあってもしあわせな社会」、「障がいが障がいとは認識されないような社会」なら、これほど悩まなくて良いのかなと思うので。)
じゃあ、しあわせって何だろう、と考えてみたところ、障がい児を生む前と同様に、家族みんなが地域の中のよく見えるところで、無理なく穏やかに暮らしていけることかなあ、と思います。
それが今のところ私が思い描くしあわせです。
もちろん人の数だけしあわせの定義があるとは思いますが、
少なくとも、「地域で暮らしたい」と思った障がい者とその家族が、
地域で暮らすことを自由に選べるのがいいな、と思うのです。
今は残念ながら、
子どもに障がいがあることを理由に、親が仕事や夢を諦めざるをえなくなったり、きょうだい児がしんどい思いをしたり、障がいの重い子どもは地域の学校で学べなかったり、学区外にある特別支援(養護)学校を卒業した後の居場所が地域に見つけられなかったり、家の中や施設の中に引きこもったりと、
本人も家族も生き方を自由に選べないこと、不自由を強いられることが多いように思います。
子どもに障がいがあると、本人も家族も生き方をいろいろ自由に選べない、だから本人も家族も不幸、だから①のように選べてしまうなら「不幸になる選択」はしない……。
じゃあ、そんな「障がいは不幸」という社会通念を変えていくにはどうすれば良いのかというと、遠回りのように見えて一番の近道は、身の周りの人に「知ってもらうこと」。
そう考えて、わたしたちは展示会を開いたり、読書会をしたり、今回のようにワークショップをしたりして、知ってもらおうとしています。
今回の会に来てくれて人の中にも、18トリソミーを知らない人がいました。
知っている人の中にも、去年の「写真展」や今年の「布と子ども展」に行って初めて知ったよ、という人もいました。
だから私たちがしていることも、地道ですが意味はあると思います。
ただ、来場者数が多いとは言えないので、どうしてももどかしい気持ちになることもあります。皆さんボランティアで頑張ってくれているのに……と。
大人になってから、「実は身の周りにはあなたが思っているよりたくさんの障がい者がいますよ」「こんな病気の人もこんな障がいの人もいますよ」と伝えていくことも大切ですが、
もし小さな頃から「地域の学校にいろんな子どもがいる状態で育つ」ならどうでしょう。
クラスメイトに18っこや13っこ、21っこみたいな染色体少数派がいるわけですから、わざわざ「世の中にはこんな病気や障がいの人がいますよ」と知らせなくても良くなるとも考えられます。
やっぱり教育の仕組みって大事、と思ってこんな本を紹介しました。
www.akashi.co.jp
イタリアなどに比べると日本の特別支援教育はとても遅れていて、重い病気や障がいのある子どもが地域の学校へ通うことを望んでも、実現は難しいのが現状です。
でも60年前からフルインクルーシブ教育をはじめた国もある。
すぐには変えられない日本で暮らしていても、可能性を考えることは諦めないでいたい、忘れないでいたい、と思いました。
③「主語を小さく。」
スケールの大きな問題に見えてしまう①②。
「全ての命に」「誰もが」と言ってしまうと、他人事になってしまいがちです。
「自分にできることを考えるためには、主語を小さくして考えると良い」という意見があり、
なるほど、と思いました。
この意見は、京都からきてくれた「パブリックコメント普及協会」のパブコメ博士•ひさえさんから。
「障がい者に自由に生き方を選ぶ権利を」「障がい者は特別支援学校でどのような教育を受けているのか」と聞くと、お互いにちょっとひいてしまうかもしれませんが、
「18トリソミーの胡花(こはな)ちゃんのお父さんが、胡花ちゃんが3歳の頃に困っていたことは何ですか?」
「『布と子ども展』でお母さんの素敵な手作りドレスを展示しに会場へ来てくれていた、18トリソミーの侑奈(ゆな)ちゃんは、今小学校何年生で、学校ではどんな活動が好きですか?」というふうに、
顔が見える人への関心や親しみをもって、
具体的に対話を始めると、自分にできることが見えてくるように思います。
何より、名前を呼んで話しかけてくれると嬉しいです。
今回は、私が作ったPowerPointと、ボランティアの渡邊さんが作ってくれた動画を使って説明したのですが、去年の展示会の会場に来てくれていて新聞に載った18っこの六花(りっか)ちゃん、言わずと知れた虎大(とらひろ)くん、去年も今年も来てくれた秋永(あきと)くん、今年来てくれた侑奈ちゃん、動画と新聞記事とですっかり有名人になった胡花ちゃん、動画や布で参加してくれた佳乃(よしの)ちゃん、希(まれ)ちゃんといった、仲間たちの写真がスクリーンに映るたびに、
「あっ」
と小さく名前を呼ぶ声があがり、そのことに心があたたかくなりました。
会の後、
「ゆなちゃんのママがドレスの布で作ってくれたポーチ、3月にきらめきプラザでもらったんです。本当にすてきで大切にしています」
「映画『うまれる』の上映会と虎ちゃんの学生服のコラボ、よかったです」
「あきとくん、会場でみかけました。あの(ミーアキャットの)写真は池田動物園ですか?(わかりません……今度尋ねておきます)」
「りっちゃんや胡花ちゃん、佳乃ちゃん、まれちゃんの布、手に触れたことを覚えていますよ。展示してくれてありがとう」
と言ってくれた人がいて、感動しました。
障がい者もいろいろ、18っこもいろいろ。
一人ひとりに名前があり、家族があり、いろいろな思いがあります。
たとえば聴覚障がい者についても、聞こえ方や聞こえにくくなった時期にはバリエーションがあり、その障がいの受けとめ方や現在のコミュニケーションの取り方も人それぞれだ、と聞いたことがあります。
困っていること、社会に改善を望むことも人それぞれでしょう。
今回、「もっと知ってほしい『染色体少数派』のこと」という副題を付けましたが、蓋を開けてみると「もっと知ってほしい『のぶくん』のこと」(かわいい自慢)みたいなお話になってしまいました……それも、まあ、主語が小さくてよかったのかも……?
④「障がい者の性。」
そういえば、「おしゃべり会」の正式名称は「性と生を考える!女たちのおしゃべり会2023」でした。
「HOME18岡山」としては「生」のお話しかできないかも?
いや、人工妊娠中絶は「女性の権利」と大きく関わる問題だから、そこから話を広げるべき?
など、実はちょっと悩んだのですが、古都夢に到着してすぐに市場さんから「障がい者や高齢者の性と、ケアサービスとしてのセックスワークについて」という、大変ストレートなお題をいただきました。
参加者の中にも「家族が障がい者の施設で働いていて、障がい児の親から性についての悩み相談を受けることがあると聞く」と話してくれた人がいました。
オープンに話せる環境がないと、親が追い込まれることもあるとのこと。
これから考えていきたい、大切な問題だと思いました。
⑤「問題は本人が解決すること。」
最初に自分自身の経験を話したときに、「当事者の親である私が卑屈になった」ということを伝えました。
18っことともに生きる選択をしたら、NICU(新生児集中治療室)に入ることは必須となりますし、手術が必要となることも多いので、医療費がものすごくかかります。
しかし今の日本には、赤ちゃんの医療費を親が支払わなくて良いありがたい仕組みがあります。税金で賄われているのです。
「障がいのある子とともに生きたい」という自分の選択をSNS上で非難され(税金の無駄遣いというニュアンスでした)、卑屈になった時期がありました。
「わたし自身の中に潜む障がい者への偏見」に気づいた時期とも重なり、その後子も亡くし、かなり落ち込みました。
当時はスミさんをはじめとする信頼できる友人に話を聞いてもらって立ち直ることができましたが、「HOME18岡山」を立ち上げると、今度は自分が話を聞く立場になりました。
すると、「私は障がい児の親が卑屈にならないように、ちゃんとサポートできているだろうか」「私の不用意な発言で、傷つけたり落ち込ませていないだろうか」という不安が生まれました。
でも、今回「おしゃべり会」のなかで、
「問題は本人が解決するもの」という意見を聞き、すごく腑に落ち、気持ちが楽になりました。
「この人をサポートしなければ」「この問題を解決しなければ」と思いすぎると、しんどくなって長続きしません。
この思いの裏には「自分ならサポートできる」「頑張れば問題を解決できる」という驕りがあったのかも知れません。
「これまでは助けられる側にいたが、もう子を亡くしてしまったのだから、これからは助ける側にいなければならない」という単純で危険な考えもあったかも知れません。今もたくさんの人に助けられているという当たり前のことへの感謝を忘れるのは、やはり驕りです。
「布と子ども展」を開いたときに、「私がシリア難民だったら、そもそも18トリソミーの子どもを無事に出産して看取ることはなかっただろう」とふと思いました。(「だから日本でよかった」という話ではありません。)
人はその置かれた状況の中で、よりよく生きようとします。
また、子どもにはよりよく生きてほしいと願います。
そして、どんな人も一人では生きられません。
単純で一方的なサポート関係ではなく、とても複雑に支え合い助け合って生きています。
困難な状況にあるたくさんの人を一方的にサポートしようと思っても、それは無理があります。
今の私にできることは、大変な状況に置かれた人が、孤独のうちに選択を迫られることが少しでも減るように、耳を傾けること、相談できる場をいつも開いておくこと、18トリソミーの専門家じゃなくても「素人に毛の生えた仲間たち」を増やしておくこと、活動をとめないこと、まずは名前の分かる身近な人から焦らず息長く応援していこう、と初心にかえることができました。
今回、「おしゃべり会」のゲストに迎える、という方法であたたかい応援をしてもらい、本当にたくさんの気付きがありました。
私もアライの精神でいきたいと思います。
www.outjapan.co.jp
主催の市場さん、
古都夢の奥津さん、
参加者のみなさん、
仲間になってくれて本当にありがとうございます。
とても心強く思います。
余韻がさめやらぬ翌日、落合恵子さんの講演会の会場で早速再会できましたね。嬉しいです。
最後になりましたが、わたしたち「HOME18岡山」の憧れの先輩「18っこのわ」が、今週また「日本遺伝カウンセリング学会」でがんばってくると聞きました。
心から応援します。
ブログを紹介しますね。
ameblo.jp
「18っこのわ」のブログの過去記事にも紹介されていますが、
サークルメンバーの18っこ「とわちゃん」家族が『ルポ「命の選別」』という本の中で取りあげられています。
この本、今回の「おしゃべり会」の内容に深く関わるので、会の中で紹介すればよかったな、とまた反省。
こちらで紹介しますので、ぜひご一読ください。
われらが「とわちゃん」は72ページから登場しますよ。
books.bunshun.jp
「おしゃべり会」で紹介した本や、もっと紹介したい本は他にもたくさんあります。
これらの本は私の「孤独」や「卑屈」を薄めてくれました。
www.groupsure.net
team-18.jimdofree.com
www.chuko.co.jp
www.shogakukan.co.jp
store.medica.co.jp
morning.kodansha.co.jp
でもきりがないのでこのへんで。
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「HOME18岡山」は、18トリソミーをはじめとする染色体少数派の子と家族と仲間たちの会です。
診断を受けた家族の思いに耳を傾け、家族間、医療・福祉の現場、地域の人との橋渡しをすることを目指しています。
いろいろな人に関心を持ってもらえるよう、少しずつ、ゆっくり活動しています。
「HOME18岡山」では、引き続き当事者を募集しています。
当事者とは、18・13っこをはじめとする染色体少数派ファミリー、プレファミリー(妊娠中の人)、子を亡くしたファミリー(流産・死産の人も)のことです。
また、このブログでは18トリソミーの子どものことを「18っこ」と表記しています。
18っこへの愛を込めたのはもちろんのこと、「18トリソミー、18モノソミー、フル、モザイクを問いません。」という思いを伝えたくてこの表記にしました。
また、症状や治療に関する医療の歴史がよく似ている13トリソミー等その他の染色体少数派の子どもたちや家族ともつながりがあります。
このあたりを考えたうえで、「『HOME18 岡山』に何か協力しても良いかな」と思うファミリーや、医療・福祉関係者からの連絡を、いつも待っています。
活動は、「したい人が、できる範囲で無理なく続ける」「来るものは拒まず、去るものは追わず」というゆるやかな姿勢で取り組んでいますので、まずは気軽に連絡してください。
当事者や医療・福祉関係者にも、そうでない人にも、幅広くさまざまな人に興味を持ってもらえると嬉しいので、今後も当事者限定のつながりだけでなく、オープンな「展示会」「読書会」「ワークショップ」を企画していきます。
そしてイベントに関わらず、岡山の人に限らず、さまざまな人からの連絡もいつも待っています。仲間になりましょう。
連絡先→
home18okayama@gmail.com
会に届くメールは今、私、惟 母(のぶ はは)こと木多(きだ)が毎日確認して読んでいます。
返信はなるべくその日のうちにお返ししています。
上記のアドレスから返信しますので、受信可能な状態にしておいてください。